The Economist 誌 12 月 21 日号の社説から、今年最後の記事紹介です。
この記事では最新のテクノロジーが人々に残した不安の例がまとまって紹介されています。SNSのプライバシー侵害やプロパガンダ問題、ギグ・エコノミーの労働条件やライドシェアサービスによる交通量増加問題、若者のスマートフォン中毒、AI の普及による偏見の拡大や失業への不安増加、5G は米中貿易戦争の火種である上に、自動運転車は人間同様に死亡事故を起こす等。曰く、これらの問題によって人々はテクノロジーに対して悲観的になっているとのこと。
これを踏まえて同誌は NYT の1979年の記事を引用して「過去にも起こってきたこと」とした上で、創造破壊を解き放つことができる新しいテクノロジーが不安を生じさせることは極めて自然なことであるとしています。また、人々は新しいテクノロジーの欠点ばかりに注目するだけでなく、その利点については当然のことであると無視しており、テクノロジーに対して悲観的になりすぎであると主張しています。確かに、私にとってもスマートフォンのない生活はもはや考えられませんし、その生活を当然のものとしてとらえています。
最後に同誌の「新しいテクノロジー自体がどのように使われるかが重要である」という主張も的を得ていると思います。例示されている殺戮動画や生物兵器にも代表されますが、テクノロジーやプログラミングはプロキシ(代理人)です。それゆえ不安の根源はテクノロジーではなく、社会がテクノロジーの孕む問題に対する真正面から答える解決策を持ち合わせていないことにあるのかもしれません。